2020/08/21 11:31
自分が ゲーム会社に入った1989年は ファミコンの終わり
スーパーファミコンが発売される直前でした。
ビデオテープのVHSが主流 秋葉原には8インチフロッピーディ
スも売っていて、8インチのサイズのフロッピーディスクは アナログレコードを少し小さくしたくらいで ビックリする程大きかったです。
○始めて作ったゲームはPCエンジンで アーケードゲームからの移植作業でした
同時発音数が6音 その内2音が効果音でなり続けてるので
○同時発音数6音 (4音が音楽 ・効果音2音)
当時は、4音で音楽を作るなんて 無理だと嘆きました
発売後の雑誌のレビューで サウンドがしょぼいと酷評されました^^;
○2作目ゲームもPCエンジン そこで初めて自分で作曲した音楽をゲームに入れました
その時自分は21歳、 16歳から音楽を初めて、音楽理論も何も知らない状態で、無茶しました^^;
振り返ると このあたりで 有頂天になり始めました
○3作目はアーケードゲーム
ここから PCM音源で ドラムとかギター 本物の音を出せるようになり
それまでは ファミコンの様な ピコピコ音で全て作っていたので 今までのゲーム音楽とは違う音を出して 人を驚かせようと
夢中になりました。
夢中になりました。
PCM音は 当時フェアライトCMIとかE-mu等の 音色制作していた Prosonus社の 高額なCD-ROMを自腹で買ってw 取り込み
当時 鉛筆一本買うのにも 上司の許可が必要な平社員だったので
会社に説明も面倒で、自分で買い集めました…
ゲーム完成直前、幕張メッセのゲームショウに展示した時の 音楽の評判がよく
ゲーム発売前に ゲーム音楽CDが出来上がり、 完全に有頂天になり 自分を見失い…彼女をコロコロ変えて…性格も変り
手に入れた様に思えたのに、大事なものをすべて失いました。
この時は、音楽で評価される事が 人生の全てだと思い込んでたんです…
自己実現より 人を幸せにする事の方が重要なんだと気が付くまで 沢山の時間と 多くの人に迷惑を掛けました
病気で 死にかけて 気づくのは遅すぎますね。
病気で 死にかけて 気づくのは遅すぎますね。